こんにちは。何だかんだ言ってても首位は嬉しかったり・・・
このへんてこ作品は偶然が2つ重なりました。まずはその話から。
たまたま1・・・先々月のトーク広場バトルに絡めてあるように見えるのは、全くもって偶然なのでした。ものさし云々等の発言、以前某サイトで言ったことをほぼそのままの形で使ってあります。また、こんな感じの作品にしようという考えはテーマ発表当初からのものです。
たまたま2・・・分量爆発についてですが、これも最初から狙っていたわけではなく、偶然の所産でありました。まだこのサイトに慣れてなく、投稿規定も読んではいたのですが、1000字目安ということ、すっかり頭から弾け飛んでおりました。で、事後的に分量爆発狙いだったことにしてしまおう、と思ったわけです(^^)
>八剣さん
>琵琶湖って立地的な面から見るといい場所にありますね。本州って滋賀のあたりで一度くびれて、その真中あたりにどんと日本で断突に大きな湖が控えているという。
そうなんですよっ!ねっ!?
な〜んか謎に包まれていてもおかしくないような感じはすると思うのです。
>吾妻さん
広場の方で答えたこと、永久保存狙いでコピペしておきます。水の話は・・・もっとそこを押し出した方が、ということだったのかも知れません。あと、ヒロ・ヤマガタ、野村證券(証券トップにしたのは近江人)など、言い忘れたことは山ほどあるのですけれど、まあキリがないのでやめておきます。ギャグとは言い切れない誤植も若干ありますが、まあいいやって感じです。
3584 [ それから ]
匿名
2003年 4月 12日(土) 0時 19分
天智の英雄性捏造疑惑については、知らないふりを貫こうと思っています。
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3583 [ 作者です ]
匿名
2003年 4月 12日(土) 0時 3分
関ヶ原については主戦場の位置より戦った人の方に着目し、「戦ったけれど」としてみました。
安土城については通過点と捉えられていた節もありますが、「死人に口なし」としてみました。
伊吹(伝説関係、日本そば発祥、日本発のCMソング、常盤御前の墓に手を合わせた信長、積雪記録世界一)・六角(池坊発祥六角堂・京都の中心へそ石、ゲリラ戦)・蒲生(日野商人・会津塗・若松城)・浅井(三人娘のその後、家臣団から出た狩野山楽・海保友松)など書き込みたいことは山ほどありましたが、これ以上長く出来ないと諦めました。
水上勉については、使えそうな言葉がなかったんですよね。福井の方が好きみたいですし。
水の話については、ちょっと解釈に困っているのですが、そんなもの堰き止め様がないし、仮に止められたとしても、淀川水系が干上がる前に滋賀が水没するよ、ということかあるいは、今はミネラルウォーターの時代だよ、あんな汚れた水飲めないよということか、その辺りなのかな?
正直言いますと、これを出すのは少し勇気が要りました。所詮理系出身の素人ですし。
ぐうの音も出ないようなつっこみをされたらどうしようと、びびっておりますです。
>唐紅さん
>どう読んだら良いのか判断に困りました。
特に批評家的な目で読んだ場合、そうなると思います。いろんなイミで中庸を狙ってみたので、仕方がないでしょう。プラス方向に解釈しておきます(^^)
>他人の価値観を揺さぶるような創造的価値があるかというと疑問です。
まあ、そうですね、他人の価値観をまち針でプスッとやった程度でしょうね。
>位置付けとしては自虐的な滋賀県賛歌によって読者の苦笑と共に親近感を誘うのを目的としているものと読んだのですが、感情的には「困惑」というのが正直な感想です。
目的については、大体そんな感じです。補足するとすれば、故郷自慢をしつつ故郷自慢の危うさ・おまぬけさをも見せてしまい、且つしょーもな〜いプライドを持っている一部の都会人をピンポイント爆撃して楽しむ、といったところ。困惑されたり拒否反応を起こされたりもするでしょうけれど、まあその辺は「やむなし」ですね。
>まじょ様
>なくもがな
確かにそうも見えなくはないですが、作品の出来云々より語りたい気持ちが大きかったということで。奥ゆかしくはないですが。そして、次はひとつ強引でないものを、などと思っています。
>らいむさん(おおとりです)
>世の中、百人の人がいれば百の正義があって百の好みがあって百の考えがあるんだからさ。
いや、そんなことはわかっています。先々月のときと同じ意味合いで、少々困惑しています。やはりこちらの物差しをきっちり見ていただけていないと感じます。
百人百様・・・理解するのは容易ですが、言動に染み込ませるには困難な道を歩まねばなりません。果たして、らいむさんの言動にこのことが染み込んでいると言えるでしょうか?
百人いれば好戦度も様々に百通り。らいむさんの考えでいくと度を超さない限り大きな度量で百通りの戦いぶりを受け入れるべきでしょう。にもかかわらず、らいむさんは自分の物差しを前面に出してご親切にも私を諭そうとしておられます。これは一体どういうことでしょう?言動に一貫性、ありますか?
らいむさんの言われたような平和主義は下手に他者を諭そうなどとすると(??)ですから『スケールの大きな生き様で示すしかない』と思うのですが、今までのところ逆になっているようですね。
思うに一定範囲内の個性・価値観しか受容になれないのではないでしょうか?もちろんこのことは万人に当てはまる(聖人除く)ことですが百人百様とか言っておられる割には受容範囲が狭いような・・・まず「相手の物差しで」というご発言がありましたけれど、一貫して(^^)ご自分はあまりそのようにされてないですね(言うは易し、行うは難し)。気に入らない相手の物差しは探ろうとはせず、自分の物差しを示すことに懸命のようにお見受けします。私も自分の物差しを示しますが、相手の物差しを探ることを忘れたりはしません。例えば先々月から今までのやりとりにおいて私はらいむさんの物差しの核を次のように読み解きました。『St. k の個性を感情的に受容できない』と。
真実はこの一言に尽きると思いますが、いかがでしょう?
□オマケ:ザ・ロードの作者コメントにコメント
言葉尻を捉えて物を言うというのはこのことです。発言全体を俯瞰して頂ければわかると思いますが、体裁からだけではなくて『いろんな視点から見て』詩ではないようだと言っているのですけど「体裁は詩っぽいけど詩じゃないようだし、これって何?」という感じで・・・従ってどこが本末転倒なのかわかりませんが。体裁による先入観に囚われてないのは明白だし(ヒントとして使ってるだけ)。私の発言の一部のみ引用されているところに作為を感じもします。また「これは詩ではなくて詞だ」なんて胸を張って言われても困惑します。それって音楽あってのものですから。詞、なるものを音楽無しで提示した場合『中途半端な詩もどき作品』として評価されるも「やむなし」でしょう。読者にとって作者の「つもり」なんて知ったこっちゃないわけです。
それから、作者は「詩ではない」と言い、私も「(詩かなと思ったけれど)詩ではない」と言い、唐紅さんは「詩のようだ」とお考えになり、そこでなぜに私が「本質を見抜けず、本末転倒」で唐紅さんが「やむなし」なのでしょう?この差は何ですか?何かが転倒してるのではないですか?感情が多分に入っているとしか思えません(これこそ本末転倒)。どう見ても詩には見えないような作品に「詩じゃないね」って言っているわけでもなし。どちらかと言えば先入観に囚われていたのは唐紅さんで(引き合いに出して申し訳ないです)むしろ私は『本質を突いて』いると思われますが。まあだからこそ、せめて言葉尻を捉えて言いがかりの一つや二つ(おちゃらけつつも)言っておかないと感情的に収まりがつかないのでしょうか。ご自分では自覚しておられないでしょうが「むべなるかな」は一種の開き直りなのかも知れませんね。実感を疑うことから始めましょう、ということです。
>まずは自分をまっさらにして読んでみる。
これもアレですよ、分かり切ったことです。そうやって読んだ上での作品感想な〜のでした。
思考に感情がどんどん入ってくるのはおよそ平和主義とはかけ離れた状態であると言えるでしょう。この作者コメントを見る限り以前の「愛ある発言を」という発言も真意を疑わざるを得ないです。つまり偽善的ですね、ということです。感情的になると本質を見誤りますからね、気をつけましょう。
(ここまで突っ込むつもりはなかったのですが、あまりにも不可解な作者コメントを見て気が変わってしまいました。あしからず)