彼の心、煉獄の中で


 築三十年のオンボロアパート、その一室である我が家に帰り着いたのは、冷たい雨が降り始めたその日の午後だった。遠くから聞こえるサイレンの音を耳にしながら、俺はドアの少し錆びた鍵を開けた。頭痛が少し不快だが、口元には隠しようが無い笑みが浮かんでいる。仕方が無い。
 まだ日が沈むには早すぎる時間だが、曇り空は窓が一つしか無いこの部屋に十分な光を届けることはできない。しかし電気はとうに止められているから―まったくこれだから資本主義的社会資本というものは!―残念ながらこの問題の解決はできない。
 俺の部屋に娯楽と堕落を兼ね合わせているテレビは置いていない。あのような資本主義の生み出した愚物を俺の部屋に置くつもりは無い。俺はそのような潜在的洗脳機械に意識を向ける気にさえなれない。ああ、朝月の報道番組だけは例外だが。同志田中がそれを理由に、テレビを資本主義的搾取階層の無駄が多い贅沢を極めた家から徴収したのも納得できる。
 しかし今日は朝月の報道を見ることは必要ない。同じ朝月の発行している由緒正しい報道紙、『朝月新聞』の号外が俺の手に握られているからだ。一面には人民の税を利用した贅沢極まる首相官邸が炎上する様子、その写真が収められているからだ。誰もがこの写真を見て納得していることだろう。
 俺は満足と充実、その二つを組み合わせたような感覚を抱いて号外を開いた。頭は先程より痛くなっていたが、号外の内容に興奮している俺には気にならない。写真にほとんど占拠された一面の次、文章で埋め尽くされた二面には人民の意志による正義の天誅は下された、そのような声明文を紹介していた。死者数百人に及ぶという予想には誇りすら覚えた。あの建物にいた全員はあの反民主主義的独裁者である和泉首相の腰巾着に過ぎないからだ。
 まったく素晴らしい。首相とその馬鹿ども、その全員を抹殺したことはこの国が素晴らしき民主主義国家に変革することの証なのだ。この国は生まれ変わるのだ。偉大なるマルクスや同志レーニンが果たせなかった真の理想郷を築くのだ、この大和に。

 ・・・いや、おかしい。俺が爆弾をしかけたのは、首相官邸ではない。あの醜悪な国会議事堂だったはずだ。憲法改悪法案を決議するために横領議員達―白民党党員だけが出席していたあの国会議事堂に。
 そういえば、あの子達はどうしたのだろう。見学に来ていた小学生の団体は。確か、俺はしかけた爆弾の側をあの子達が通ったのを見て・・・
 ああ、頭が痛い。どういうことだ?
 突然辺りが真っ暗になった。

 ぬるっとした感触が頭の上を駆け巡った。頭痛は我慢できないほど酷くなっている。頭を手で抑えようとして、失敗した。感覚が無かった。使い馴れている手どころか、右腕が感じられなかった。
 少し目の前が明るくなる。次第に感覚が戻ってくる。何かが燃える臭い。体の上に圧し掛かっている酷く重い何か。体中から感じる鋭さと鈍さが混じった強い痛み。力の入らない全身の筋肉。
 視覚と聴覚が戻ってくる。遠くに呆然とこちらを見ているあちらこちら汚れた小学生の集団が見えた。怪我をしている生徒はいないようだった。
 何故か湧いた安堵感に身を任せながら、辺りに停まっている救急車のサイレンが段段と遠くなっていくのを感じた。